日本の教科書だと、
“She is a teacher”
とあれば、
「彼女は先生です」
という日本語の訳文が書いてあるはずである。
ここで、冠詞”a”が問題となる。
一般に、”a”は、”形のある1つのもの”を表している。そうすると、上記の日本語の訳文には、”a”に関する情報が欠落していることになる。
一方、中国語から見た英語の教科書では、上記の文の訳文として、
「她是一個老師」 ta shi yi ge laoshi
と書いてある。「一個」という文字が、”a”の訳文として、記載されている。中国語の方が、日本語よりも、英語に対する類似性が高いせいか、教科書でも、”a”を訳している。
日本の英語の教科書が、昔に比べて、変化しているかどうかは、知らないのだけれど、両者を比較すると、”a”の情報の欠落がない分だけ、中国語の教科書の方が良い気がする。
台湾で開催された翻訳ソフト開発のオープンミーティングには、100人以上が訪れた。日本だと、ほとんどやってこないと思う。技術的には、ディープラーニングの集会である。言語的親和性や、先端技術に対する情熱などを考えると、日本はもう少し頑張らないと、追いつけないかもしれない。